千利休が豊臣秀吉によって切腹させられた昨日2/28は、私の〇〇回目の誕生日でした。
何人かの生徒からプレゼントをいただいたり、fb友達からお祝いのMSをいただいたり、
年甲斐もなく節目の日を噛みしめた一日でした。
本当にありがとうございました。
千利休のような『侘び寂び』の境地にはまだまだ程遠いとは言え、
少し前から、大きな野心も、ましてや、人を貶めるような下心もなくなってきたのは紛れもない事実で、
親からいただいた名前、言い換えれば親との『契約』を履行しなければという思いも年々強くなってきています。
あと何回この誕生日を迎えられるのだろか?...いや、親より先に逝くのは最大の親不孝だ!...
などという思いを巡らすことも多くなってきた年頃です。
『あなたは今なぜ生きているのですか?』という問いに対して、
置かれている立場や直面している状況によって様々な答えがあると思います。
逆に、まったく答えられない人もいるかもしれません。
積極的な理由ではなく、ただなんとなくと言った消極的な答えも多いかもしれません。
最近は、明確ではなくても少しずつですが、その答えのひとつが実感できるようになってきました。
それは『誰かが私を必要としているから、だから生きている』です。
自分のことよりも、誰かのために何かをしたいという気持ちが年々強くなってきているのは確かです。
『置かれた場所で咲きなさい』...本当にそう思います。
寺子屋wakavaも間もなく誕生日を迎え、来月には早くも4年目をスタートします。
明日は公立高校入試の最終倍率の発表があり、いよいよ寺子屋第3期生が旅立ちます。
塾の壁一面に飾ってある世界中のジグソーパズルの中から、好きなものを合格祝いにプレゼントしていますが、
ぜひ他人から必要とされる人間になって世界に羽ばたいてもらいたいと願っています。
寺子屋wakavaも、地域や子供たちに必要とされている間は続けていきたいと思います。
staff☆x
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